〔më〕函館七福神巡りに行ってきました♬

函館には、函館山のふもとにある七福神を祀る神社や寺を参拝しながら歩く「函館山七福神巡り」というのがあるそうです。

 

七福神巡りは、元旦から7日までの間(もしくは15日まで)にお参りして歩くもので、室町時代に京都で始まったといわれています。やがて全国各地に広がり、江戸時代には庶民の風習として大流行しました。また明治時代になると、東京の向島では、幕末の箱館に縁が深かった榎本武揚や栗本鋤雲ら著名人を巻き込んで隅田川七福会が結成され、現在のひと巡りコースが作りあげられたとのことです。

 

七福神巡りは順番は一般的には決められていないようです。

車で回るので、遠いところから行ってみようと思います!!

 

  住三吉神社  

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住三吉(すみよし)神社は、函館山のふもと、住吉町にある神社。山の木々に包まれるような、落ち着いた雰囲気のところにあります。

神社の創立年代は未詳ですが、口碑によれば、鎌倉時代に創建されたといわれています。江戸時代には、箱館奉行が石灯篭を奉納して、外国からの脅威が退散するように祈願したという事実もあったとのこと。1934(昭和9)年に発生した函館大火により社殿が類焼し、三吉神社跡地に仮殿を建立。三吉神社と合併合祀の上で移転し、翌年、社名を住三吉神社と改称しました。

 

寿老神(じゅろうじん)
中国の延命長寿の神。巻物を結んだ杖を携え、三千年の長寿の象徴の鹿をつれている。うちわで難を払うことから、諸病平癒などにも功徳があるといわれる。

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神社脇の民家ににゃんこの親子がいました♬

じりじり寄って行ったらお母さんにおこられました(´・ω・`)ショボーン

 

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かわいいー!!

 

 

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木々に囲まれていて森林浴です♬

こういうの好き♬

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この階段だけでめげそうです(笑)

寿老神さまは非公開で見ることは出来ません。

 

  天祐寺  

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天祐寺は青柳町にある天台宗の寺で、1850(嘉永3)年、福島県相馬から来た僧が大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)を祀ったのがはじまり。江戸末期、様似・等澍院の箱館休泊所となった際に天祐庵と称され、1884(明治17)年に現在の名前に改められました。1934(昭和9)年の函館大火の時に寺は全焼しましたが、2年後、東京にあった紀州徳川家の由緒ある建物・庫裡(くり)を移し、建てられました。

 

布袋尊(ほていそん)
七福神の中で唯一実在した中国の禅僧。福々しい姿に大きな袋を背負い、喜びを施した。無邪気で無欲な心の豊かさを諭す神。

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門を入って左手の木々の中に布袋様がいました。

 

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懐かしい感じの建物ですね。

 

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  恵比寿神社  

現在の函館繁栄の基礎を築いた江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛に関連する資料を展示していた、北方歴史資料館(現在閉館)横にある神社。神仏の信仰厚かった高田屋嘉兵衛が守護神として屋敷に恵比須神を祀ったことから由来しています。

 

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ん?神社どこ??

 

知らないと見過ごしてしまいそうです。

 

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北方歴史資料館の隣にありますよ♬

 

  厳島神社  

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厳島神社は、市電・函館どつく前電停そばにある神社です。創建は江戸時代前期といわれ、以前は弁天社と称されていました。弁天社は1871(明治4)年に市杵島(いちきしま)神社と改められ、のちに厳島神社と改称されました。

何度か場所を変え、一時は海中に島をつくって祀った時代もありましたが、幕末に現在地に移ってきました。現在の建物は1907(明治40)年の大火後、大正時代に建てられたものです。現在、目の前には道路があり、路面電車や多くの車が走っていますが、古地図を見ると、神社の前は海だったようです。海上の安全を祈願する船乗りたちのため、陸に背を向け海に向いて建っていたことがわかります。

境内には、寄進された貴重な遺物が多く、1823(文政6)年寄進の手水石鉢をはじめ、1837(天保8)年に加賀の廻船主たちが寄進した鳥居や、1854(嘉永7)年、海上安全のため奉納された方位石などがあります。古くから海の守護神として、地元漁業者のみならず、松前をはじめ、遠くは北陸、大阪などの商人の尊信を得ていたことが、これらの遺物からうかがえます。

 

弁財天(べんざいてん)
もとはインドの水辺の女神。琵琶を奏でる姿から芸妓上達の神、また水は浄める力を持っているということから金運、財運をつかさどる女神とされる。

 

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龍の顔がいっちゃっています(笑)

 

恵比須(えびす)
右手に釣竿、左手に鯛を抱える姿から、元来は海を守る神、大漁の神、商業が栄えた室町時代のころからは商売繁盛の神とされる。

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何故かここに恵比寿様もいました…。

 

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ガラス越しの建物の中にあるのですが、長いゴヘイの隠されていてとても見にくかったんですよ。

 

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はい。参拝いたしました(笑)

 

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恒例の撮る人を撮るシリーズ♬

 

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  称名寺  

 

1644(正保元)年に伊勢の国から渡来した僧の円龍が、亀田村(現在の市内八幡町付近)に阿弥陀庵を開いたのが始まり。1655(明暦元)年に阿弥陀堂と称し、1690(元禄3)年に松前町にある浄土宗光善寺の末寺として、寺号を称名寺と公称しました。1708(宝永5)年に富岡町(現在の弥生町)へ移転、建立した本堂が1879(明治12)年の大火で焼失したことで、1881(明治14)年に現在地へと場所を移すのです。そして、1896(明治29)年、1907(明治40)年と相次いで大火に遭い、1922(大正11)年に再建された本堂は、1929(昭和4)年に現在の鉄筋コンクリート造りとなりました。
同寺は、市内において高龍寺(船見町21)に次ぐ歴史深さ。それゆえに、史書をめくるとさまざまな場面で登場します。箱館奉行交代の際には仮本陣、開港当初はイギリスやフランスの領事館、箱館戦争時には新撰組残党の屯所が置かれたのです。
それを物語るように、境内には偉人の墓碑がずらり。初代箱館館主・河野政通の供養碑、新撰組副長・土方歳三とその隊士の供養碑、豪商・高田屋嘉兵衛の顕彰碑をはじめ、国内初の気象観測所を開設した福士成豊、日魯漁業創設者の堤清六、日本球界の至宝として知られる久慈次郎などの墓も並びます。

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こちらは館内の宝物庫内に毘沙門天様があります。

社務所に声をかけて館内にはいらせてもらいました。

 

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宝物館の入り口にはなでほとけ様がいました。

痛いところをなでなでするといいとのことで頭をなでなでしてきました。

 

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では入ります。

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館内は電気を付けて入るのですが、色々と反射して撮りにくいのであえて電気を消して撮影させてただきました。
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北海道最古の碑

 

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入り口から真正面に毘沙門天様はいらっしゃいました。

 

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毘沙門天(びしゃもんてん)
インドの神様。四天王のひとつ、多聞天の別名。右手に矛、左手に多宝塔をかかげる、武装分怒の守護神。

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館内には貴重な品が沢山ありました。

 

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こちらは弁慶が作ったと言われているそうです。
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資料館や博物館ってなんだか好きなのでここもじっくり見てしまいました♬

 

  実行寺  

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1655(明暦元)年、山之上町(現在の弥生町)に僧の清寛が草庵を結んだのが始まりと伝えられます。「庵」はごく少数の常住者が管理するもので、それより規模が大きくなれば「院」とし、さらに本格的な仏教活動を行うようになると寺号を公称するのだそうです。1690(元禄3)年に松前町にある日蓮宗法華寺の末寺となり、実行寺と公称した時期は、富岡町(現在の弥生町)に移転した1714(正徳4)年とも、延亨年間(1744~48)とも言われますが、定かではありません。
江戸末期から明治初期にかけては、史実の舞台になることも。1854(安政元)年、来航したペリー一行の写真班が宿舎とし、翌1855(安政2)年にフランスの軍艦シビル号が入港した際は、疾病を患う水兵の養生所にもなりました。また、1858(安政5)年にはロシア領事館として利用されたことがあります。このほか、1869(明治2)年の箱館戦争終結後、新政府軍の命令に背き、町中に放置されていた旧幕府脱走軍の戦死者を侠客の柳川熊吉とともに回収し、埋葬したのが同寺住職の日隆です。
以降は、数度の大火に見舞われます。1879(明治12)年の大火後、 1881(明治14)年に現在地へ移転。1896(明治29)年、1907(明治40)年と立て続けに被害に遭い、1918(大正7)年に完成したのが現在の本堂です。土蔵造りの建物にはケヤキが使用されていて、美しいたたずまいです。
こちらも社務所に声をかけて参拝させていただきます。
北辰殿にあります。

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大黒天(だいこくてん)
インドの神。大黒神とも呼ばれ、元来は武神。右手に小槌を持ち、米俵を踏まえている姿になり、恵比須神と並んで厨房の神とされる。

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大黒様です。

三体の右端にまつられています。

 

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  船魂神社  

 

船魂神社は、市電末広町電停から日和(ひより)坂を上がりきったところ、函館山のふもと・元町にある神社です。

社記によると、1135(保延元)年、良忍という高僧が観音堂を建てたのが始まりであり、北海道最古の神社ともいわれています。江戸時代末期に船魂大明神と称し、その後村社になり、船魂神社と改称されました。明治の大火で社殿が焼失した後、一時、谷地頭町の函館八幡宮に神体を移していましたが、1932(昭和7)年に現在地に本殿が築かれました。現在の建物は、1962(昭和37)年に改築されたものです。

祭神は、潮流の神「塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)」、海をつかさどる神「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」、八方除、厄除、病気平癒の神「須佐之男神(すさのおのかみ)」。漁業や船舶の関係者や、受験生、就職活動中の学生などが参拝に訪れます。社務所では、船の舵の絵が織り込まれたお守り「舵守(700円)」があり、海上航路、道路交通、そして進路を守護する御祭神のご利益があるといわれます。

また、こちらの神社は「義経伝説」でも知られています。鎌倉時代始めの1190年、源義経一行が津軽から渡航したとき、遭難しそうになったところを船魂明神の加護で無事上陸したという言い伝えがあり、わき水をを探していたところに童子の神が現れ、指を差した方向を見るとコンコンと水が湧き出ていたとのこと。神社の境内には、童子が現れた岩「童子岩」があります。

 

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最後は船魂神社です。

ここは以前にもブログにかきましたが、函館でも有名なパワースポットとも言われています。

 

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義経伝説のある神社です。

 

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右の奥の方に福禄寿様がひっそりといらっしゃいました。

 

福禄寿(ふくろくじゅ)
中国の神様。南極星の化身といわれる。長頭で不老長寿の薬が入ったひょうたんを携え、延命長寿の神、また財の神、方除け神とされる。

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気持ちが落ち込んだりすると無性に神社やお寺、木の生えているところにいきたくなります。

小さい頃から神社で遊んだり木々に囲まれて育ったからなんでしょうね。

 

今回もなんだかちょっとスッキリと心洗われたような気分になりました♬

 

神社で撮影するときはちゃんと撮影させてください(。-人-。)とお参りをして撮影しています。

ただ行って撮影してくるだけは違うと思うんです。

マナーはちゃんとまもりましょうね♬

 

 

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7つの神社、お寺は車で回りましたが、普段どれだけ歩いていないのか膝が痛くなりました

(´;ω;`)

厄が膝にたまったんでしょうか??(;・∀・)

 

 

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